お盆のできごと ~過去を思い出す~
お盆にお坊さんにお経を読みに来ていただきました。
毎年の行事です。
「わしらがいいひんようになったらお経読みに来てもらわんでもかまへんしな。」
と父が言いました。去年頃から弱気な発言をします。
このご時世、そしてコロナ禍もあり、もう振り込みにしているご家庭も多いのではない
かと思います。
お坊さんが帰られた後、昼ごはんが済み、何かの話しの流れで、昔、父が経営していた
レストランの話しになりました。
家とレストランが一緒で、食事に来られる方の他に出前もしていました。
父と母だけで働いていたので、かなり忙しかったと思います。
「お父さんの腕も良かったなぁ。冷めてもおいしかったもん。
それに、時代も良かったなぁ。」と私が言いました。
今ほど、スーパーやコンビニエンスストアに即席の品が揃っておらず、出前で注文され
る家庭もたくさんありました。
「そうやなぁ。そやけど忙しすぎた。追いまくられた。
お前らには寂しい想いをさせてしまった。
何もしてやれんかった。」と父が言いました。
お前らとは、姉と私のことで、姉は仕事で来られていませんでした。
その言葉を聞いて、「そんなことないやん。」と言って、その続きを言いたかったのだ
けど、涙がこみあげてきて、そのままさりげなく席を立ち、違う部屋で涙をふきまし
た。私が涙ぐんだことに父が気づいたかどうかはわかりません。
こんな振り返り後悔するような言葉を父は、時々言うようになりました。
私は、「夏には、山に行ったり泳ぎに連れて行ってくれたやん。」と続きを言いたかっ
たのだけど、泣きそうになるからその言葉が言えませんでした。
とても忙しい時には、店から姉と私のいる部屋にベルが鳴って「手伝いに来てほしい」
というサインがありました。
私達もテレビの続きを観たかったり、試験前は、勉強を進めたかったりして、
毎回毎回、手伝いにいけたわけではありませんでした。
「もっとかまってあげられたらよかった。」と後悔する父。
「もっと手伝ってあげればよかった。」と後悔する子供。
でも、もうあの頃の私達に戻ってやりなおすことはできません。
ただ、その時、その時を、一生懸命生きてきただけです。
私こそ、「親孝行してあげられなくてごめん。」と本当は、思っているのです。
親の仕事が、21時頃に終わるので、それから夜ご飯でした。
小さい頃は、いつもお腹がぺこぺこでした。
「普通のおうちに生まれたかったな。」と心の片隅でいつも思っていました。
私が、生まれた頃は、一番忙しかったのかもしれません。
私の生まれた頃の写真が一枚もありませんでした。
姉は、一人目の子供ということもあり、赤ちゃんの時の写真がありました。
アルバムを見て気づいた学生の頃の私が、親に「私の赤ちゃんの時の写真が一枚もな
い」と言った時は、辛かったかもしれません。
姉の子供が小さい頃は、私達にしてあげられなかったことを取り戻すかのように、
まだその頃は働いていましたが、時間に余裕が少しできた父は、孫とよく遊んでいまし
た。写真もたくさん撮っていました。
姉が、この場に一緒にいてくれたら、何かもっと父に声をかけてくれたかもしれませ
ん。そして、もっと語れたかもしれません。
姉とも、コロナ禍のため、長い間、会えていません。
会えた時は、この話しを聞いてもらいたいと思っています。
姉ならどう言うでしょう。
このままで終われば、父の後悔が後悔のままで終わってしまうので、
いつか、きちんと語り合いたいと思います。
私が、この話をブログにあげたのは、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません。
甘えてしまいました m(__)m
過ぎてしまった過去は取り戻せません。
これからが大事です。
これからの毎日を、大切に生きていきたいと思います。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
感謝していますm(__)m